禊之宮(みそぎのみや)の沿革
禊之宮の沿革
時代を担うべき青少年に、日本の伝統精神を真に自覚・体得させるための道場の必要を痛感した巽 健翁が、平沼騏一郎(元内閣総理大臣)、清浦圭吾(元内閣総理大臣)、池田成彬(元日銀総裁)、諸賢の後援を受け、昭和14年10月1日の伊勢市の外宮御前に、「神都禊祓場」を創設する。 その後昭和20年7月29日の戦災で、施設の大半を焼失する。しかし、嘗て川面凡児の下に研鑚・修行を積んだ巽 健翁は、占領下の神道指令の強力な迫害を退けつつ、日本民族の思想と伝統の護持につとめ、昭和21年12月5日、平沼騏一郎氏の後押しのもと禊祓場内に宗教法人令の下、禊之宮を設立する。 その後、昭和26年の宗教法人法の公布にともない、文部大臣所轄包括法人「神道大和教」を設立する。包括法人の禊之宮として宗教活動すること35年、昭和57年6月28日に至って、伊勢市から斎宮(いつきのみや)ゆかりの現在地三重県多気郡明和町に移る。
禊之宮のご祭神
外宮御前 神都禊祓場
■巽 健翁が創設した神都禊祓場
神都禊祓場を伊勢市の外宮御前に創設した当時(昭和十四年)の受祓(じゅはつ)要項が保管されていましたので、ご紹介いたします。
■禊祓場の案内図
右のページが申込書になっています。左のページは当時の禊祓場の案内図でしょうか。
■神都禊祓場
右ページに当時の案内地図があります。中ほどの斜線部分が当時の神都禊祓場です。当時は1500坪ほどの広さがあったそうです。その下にはすぐに外宮となっています。上部に見える鉄道の駅は、「やまだ」となっています。現在の伊勢市駅です。
左のページには当時のきよめ所、受祓者休憩所の一部の写真です。
■祓殿内部の写真
右ページに上から禊所正面、禊所 案、男子 禊 處となっています。左には現在の禊時の鉢巻にもなっている平沼男爵書の「明道」。中に祓殿、下に祓殿内部の写真です。
■神都禊祓場の経過概要
右ページは上に婦人禊所、中に更衣室、禊 處。左ページには落成奉告祭の写真と神都禊祓場の経過概要が書かれています。